こわいもの②
察する文化が怖いです。
自分は行間を読むのが非常に苦手です。
昔は勘違いばかりでしたし、今は放棄しているので分かりません。
放棄している、というのは、分からないところは推測するのではなくできるだけ質問するように変えたということです。
面倒だと思われるかもしれませんが、聞かないで失敗して怒られるくらいなら聞いた方がずっと良いと思ったからです。
更に、一旦「こういうことかな?」と目星をつけたうえで聞くことで、少しずつでも行間を読む精度を上げていこうという狙いもあります。
しかし、多くの人からは面倒がられることが多いです。
確かに面倒だと思います。
能力が低いのはこちらの問題なので、それで相手の負担を増してしまうのは、申し訳ないというか、嫌がられるのもしょうがないと思います。
ただ、それらは全部察する文化のせいなのではないかと思います。
察する文化のおかげで、読解力が低い自分は面倒がられるか失敗するかの二択になっているのではないかと思ってしまいます。
何よりその文化の存在が怖いと感じます。
そもそも自分の察する能力が低いというのはどういうことかというと、行間を埋める際に複数の埋め方を考えついてしまうということです。
ある言葉は、Aという風に解釈できるが、Bとも考えられるのではないか、と思ってしまいます。
普通の人は「確実にAだ」と正解の方を選べますが、自分はBを捨てるのが苦手で、悩んだ結果半分間違えてしまいます。
思いついてはいたんだけどね、という言い訳みたいなことをしてしまうので、厳しいです。
しかしそのおかげで、周囲のミスコミニュケーションに気づくのが得意になりました。
話し合いが上手く回っていないときに調整するのは上手くなったので、少し良いところもあります。
仕事をするうえでは、必要な作業があるのかとか、大事な手順は何かを察するのが苦手です。
特に大事な手順がない場合はそう言ってもらえないと、全て几帳面にやって効率が下がってしまうので、結構厳しいです。
似た感覚を持った人と働けたらいいなと思います。
グローバル化で、察する文化が少しずつなくなってくれたらいいなと思いながらいつもより長い文章を締めようと思います
終わり
SPIの非言語の練習楽しい